それからの日々

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2010年 11月 01日

同一労働同一賃金

最近よく耳にする、この言葉。もちろん、この言葉を口にする人は、正規雇用・非正規雇用の差別解消を目指して口にしているのでしょうが、(「正規・非正規」という言葉にも違和感を覚えますが、それは別として)二つの意味で、非常な危うさを感じます。

その一つは、例えば、『雇用の常識「本当に見えるウソ」』や『学歴の耐えられない軽さ』を著している海老原氏が、その著書の中で、「企業が異なっても同一職務なら同一賃金であるべき」なのか、「同一企業内においては同一職務同一賃金であるべき」なのか、問題を分けて整理していますが(そして、その整理の中身は同氏の著書を直接ご覧頂きたいと思いますが)、そもそも、この「同一労働同一賃金」という概念は、「同一の労働を行う者には、須らく同一の賃金が支払われるべきである。」という崇高な理想とは裏腹に、暗黙のうちに労働内容以外の属性で労働者に対する差別的取扱を認めているのではないか、という点です。

製造業に勤める身から、分かりやすく例を挙げると、中国人・フィリピン人・ベトナム人・インド人と同じ仕事をしているのに、何故日本人であるというだけで高い給与を支払わなければいけないのか?労働内容が同じであれば、賃金レベルは同一でしかるべきではないか?ということです。

この質問に対する回答は、概ね二つに分かれます。

一つが「日本人労働者が担っている職務は、諸外国の労働者が担っているそれよりも難易度が高く、責任が重いものであって、決して同一労働ではない。」というものです。この回答はロジカルですが、東南アジア諸国の労働者のレベルは、急速に向上していて、5年前・10年前のそれとは比べ物にならず、中には日本の熟練労働者と十分に比肩し得る人もいます。現場作業者に限らず、「自分が提供する労働の価値は、諸外国の労働者が提供する労働の価値よりも高いのだ。」と言い張る以上、常に国際競争の中における自分の価値というものを確認しておく必要があろうかと思います。

もう一つの回答が、「『同一労働同一賃金』というのは、あくまで日本の労働市場における日本の労働者を対象にしているのだ。」というものです。こちらの回答は全くもってロジカルではありません。何故ならこういった見解は、「同一労働同一賃金とは、あくまで労働内容をもって、賃金が決定されるべきである。」と言いながら、労働者の所属する労働市場のナショナリティや労働者自身の国籍といった「労働内容以外の属性」を理由に労働者を差別的に取り扱うことにコミットしてしまっているからです。もし「労働内容以外の属性」で労働者を差別的に取り扱うことを是とするのであれば、労働者の属する企業や、労働者が企業と取り交わした労働契約内容といった、他の「労働内容以外の属性」で労働者を差別的に取り扱うことは認められず、国籍や労働市場の所在地といった特定の「労働内容以外の属性」で労働者を差別的に取り扱うことは何故、認められるのか?といった疑問に答える必要があるでしょう。日本が、諸外国から隔絶された閉鎖経済で成り立っているならともかく、現状では「日本人だから、とにかく高い給与が支払われるべきだ。」という意見は正当化しづらくなっているのが事実だと思います。

もう一点、「同一労働同一賃金」という言葉に感じる危うさは、そしてこちらの方が本質的な問題だと思いますが、「同一労働」などという概念を持ち出した時点で、当該労働者の提供する労働内容が、他の労働者でも提供し得る、代替可能な、コモディティに貶められているのではないか?という点です。

例えば、まわりから見たら同じような仕事をしているかもしれない人だって、日常生活の中では、個別具体に色々な人と関わり、個別具体な案件を処理し、その人から見た人間関係の中で、その人がさばいてきた仕事があって、その人だけが積み重ねてきた経験というのが、必ずあるはずだ、と思うのです。

それは本当に、同種の労働者であれば、誰でもが代替可能なものですか?

例えば、サービス業の人であれば、「あのお客さんには、いつもこういった文句を言われるから、次からはこうしよう。」とか、「この間、こういった接客をしたら好評だったから、別の人にも試してみよう。」とか。製造業の人であれば、「前工程から流れてくるパーツは、いつもこうなってるから、そこを補正するように加工すれば、後工程が楽になるな。」とか。

それは、ほんのちょっとしたことであっても、その人自身がその場にいるから学んだこと、その人自身がその場にいるからこそ提供できる価値があるはず。

なのに、「同一労働」なんて概念を持ち出した瞬間、その労働者の個性やアイデンティティは吹っ飛んで、その労働内容自体が、まるでスーパーで一個100円で売られているリンゴのように、どこでも取得可能で、代替し得るコモディティのように受け取られてしまう。

前述の東南アジアの労働者との比較だって、「自分は、日本人という世界的に見て可処分所得の絶対額が高いカスタマー相手に、日本語というカスタマーの母国で、日本国内という地理的にも近い環境で、直接、労働価値を提供できるのだ。」ということそのものが、労働内容そのものを差別化する論拠になり得るのではないか?

話があっちこっちに飛んでしまったけど、結論として、自分には「同一労働同一賃金」なんて、まやかしにしか思えないということ。「あの人と同じ仕事をしているから、あの人と同じ給料を下さい。」と言うのではなく、「自分は、自分にしかできない仕事をしているのだから、その価値を認めて下さい。」というのが本質ではないでしょうか?

我々は、スーパーで一個いくら一束いくらで売られているわけじゃない。フィリピン産やエクアドル産のバナナと比べて、「高いわね。」と言わせておいてもいけない。

自分には、自分だけの価値がある。それをまず相手に認めさせること。その方が、「同一労働同一賃金」なんて、プロパガンダよりも、よっぽど意味のあることだと思います。
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by kcchicago | 2010-11-01 01:11 | 仕事 | Comments(2)
Commented by あく at 2010-11-01 15:53 x
同じ業務って、なかなかないよね。
人それぞれ能力も違うし、得意不得意もあるし。
インセンティブや能力給が導入されるってことかな?
正社員しかいない、うちの会社にはぴんとこない制度だけど正社員も同じ賃金ってこと?
同一労働同一賃金って言葉だけが一人歩きして、それぞれ唱えてる人の意図があまり伝わってこないかな。
ワークシェアリングを視野にいれているでしょうかね。
Commented by kcchicago at 2010-11-03 22:39
あくさん、コメントありがとうございます。
会社の業務とは直接の関係はないんですけどね。(^^;)
まあ、あくさんも書かれている通り、言葉のイメージだけが一人歩きして、ある種のプロパガンダのようになっていますが、意図するところは人によって異なるし、本当にそれが個々人にとっていいことなのかどうかは難しいですよね。。。


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