2011年 07月 16日
さっき、twitterでひとしきり呟いた話ですが。 ここ最近になって、マイクロファイナンス(の一部)が連帯保証や高金利、強引な取り立て等で社会問題化している、との記事をちらほら目にします(あくまでも「一部」というのがミソだと思いますが)。 まあ、それはそれとして、滑稽なのが、グラミン銀行の創始者であるムハマド・ユヌスがノーベル賞を受賞した頃には、目をキラキラさせながら「自分もマイクロファイナンスに携わりたいんです」と言っていたような人たちが、一気にトーンダウンしてしまっているところ。それって、あんまりにも世の中の流行り廃りに踊らされすぎではないか、と。 誤解を恐れずに言えば、連帯保証と高金利を軸にして、商業銀行の融資を受けられない人たちに小口零細の金融機能を提供するという意味で、マイクロファイナンスはサラ金と同じものであり、そんなのは初めから分かりきっていることではないかと思う。 ただ、「だからダメだ」というのではなく、やはり小口零細金融には、商業銀行から締めだされている人たちに金融機能を提供するという意味で、社会的に重要な役割を担っているのだろう。そういう意味では、むしろサラ金の金融機能をもう一度評価してもいいのではないか。 サラ金が問題になったのは、非常な高金利と強引な取り立てが主たる要因かと思う。 高金利については、リスクの高い人に金融機能を提供する以上、どうしても一定の貸倒は発生するわけだし、年率に換算すると確かに暴利だけど、実際のところは超短期のつなぎ融資が中心で、借り手の方もそれを理解して借りるわけだろうから、ある程度は許容すべきではないか。ここを否定すると、小口零細金融そのものが成り立たなくなる。 後者については、行為規制で法律に反する個々の行為をきちっと取り締まればいいだけで、「だから小口零細金融そのものを禁止してしまおう」というのは、あまりに乱暴な議論ではないか。 あと、パチンコ等のギャンブルや買い物なんかの依存症とサラ金の合併症を起こしてしまう人がいるみたいだけど、それについても「だから小口零細金融なんか廃止すべきだ」というのは論理の飛躍で、ギャンブルそのものを取り締まればいいだけだと思います。買い物依存症なんかは対応が難しいかもしれませんが。 というわけで、たとえマイクロファイナンスが広い意味ではサラ金の亜累計であるにせよ、社会的な意義は揺らぐことはないのだから、マイクロファイナンスに携わりたい人は個別の問題を潰しながら自分の信じる道をすすめばいいし、その過程においては日本のサラ金が良い意味でも悪い意味でも色んな検討材料を提供してくれるのではないかと思うのです。 単純に、マイクロファイナンスという言葉が流行れば「マイクロファイナンスをやりたい」と目を輝かせながら言い、ソーシャル・ビジネスという言葉が流行れば「ソーシャル・ビジネスがやりたい」と言うのは、ある意味純真なのかもしれないけど、ややナイーブ過ぎると言うか、あまりに自分というものがなさ過ぎるように感じる今日この頃です。
by kcchicago
| 2011-07-16 22:46
| MBA
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