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それからの日々

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2008年 05月 19日

日本人の宗教観

下でチャペル・ウェディングの話を書きましたが、こういう話をしていると、「普段はキリスト教徒でもないくせに。」とか、「日本人は、子供が生まれたら神社に参拝して、結婚するときはキリスト教徒になって、亡くなるときは仏教徒になる。」とか、下らない揶揄の仕方をする人がたまにいるのです。「日本人は宗教観がない。」とかね。

本当にそうなんでしょうかね?

個人的には、全く逆の考えを持っていて、日本人ほど「何だかよく分からないけど、神聖なるもの」に敬虔な気持ちを抱いている民族も世界的には珍しいのではないか、と思うのです。「日本には八百万の神がいる」とか言われますけど、日本人ほど生活の隅々に「神聖なるもの」の存在を見出している例も少ないのではないか、と。

例えば、アメリカにいたときに、色んな国の人たちと食事をしに行って、日本人は皆、食事を始める前に「いただきます。」と挨拶をするのですが、すかさずアメリカ人から突っ込みが入るんですね。「それは何だ?」と。「それは何か神に祈っているのか?」と。

まあ、別に日本人からしてみると、個別の宗教の特定の神に祈っているわけではなくて、食事や食材そのものを作ってくれた人への感謝、そういう活動が行われているという社会の営みへの感謝、天の恵みへの感謝、明確な形を取らない色んな思いが自然と込められた「いただきます。」であったりするわけですが。

「何だかよく分からないけど、神聖なるもの」と先ほど書きましたが、日本人のすごいところは、「何だかよく分からないもの」を何だかよく分からないまま「神聖なるもの」として受け入れてしまえる懐の深さなんじゃないかなぁ、と思います。「個別の教義」とか、「唯一絶対神」とか、そんな明確な形を取っていないにしても、日々の営みの中に「神聖なるもの」を見出して、それを畏れ、敬い、感謝の念を持っている。「八百万の神」というのも、一から順に数えていって八百万に到達したわけではなくて、日常の隅々至るところに数え切れないほどの神様がいますよ、ということだろう、と。

だからこそ、日本人は、他の宗教徒が信じている「神聖なるもの」の存在も、抵抗なく受け入れることができるのではないか、と思うのです。そして、それは無神論者なんとかとは、恐らく全く反対の立場にいるのだろうなと思います。(少なくとも、自分自身は個別の宗教にはコミットしていませんが、自分が無神論者であるとは全く思いません。)

「天網恢恢疎にして漏らさず。」なんて言い回しを大好きな人も多いでしょうし、「天」とか「お天道様」とか「道理」とか「この世の理(ことわり)」なんてのも、人知を超えた何かを信じる、鷹揚な、それでいて立派な宗教観なのではないでしょうか?

で、グダグダ書いてみましたが、要するに言いたかったのは、普段はキリスト教徒ではないのにチャペル・ウェディングをする人たちも、二人を引き合わせてくれた何かに感謝し、その何かに対して愛を誓う気持ちに、嘘偽りはないだろうと、そういうことです。

というわけで、「キリスト教徒じゃないから。」なんて無粋な突っ込みはせずに、素直に祝福する気持ちを持ちましょう。愛を誓う二人の気持ちは真実のものなんだから。

by kcchicago | 2008-05-19 00:28 | Days | Comments(0)
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