2008年 11月 09日

「気合いと根性」と「『人間力』症候群」

仕事を進めるに当たって、「気合い」や「根性」は必要条件であって、十分条件ではない。

「気合いと根性がないと、何もできない」というのは、蓋し正論だけど
「気合いと根性さえあれば何とかなる」というのは、大いなる誤りだろう。

そんな考えの人は「失われた10年」を経て、とっくに駆逐されたのかと思っていたけど、どうやらそうでもないようで。

少なくとも、リーダーたる者、配下の人間が発揮する「気合い」や「根性」をどのように結果につなげるかという明確な絵図面を示して、モチベーションを持続させる努力は必要なのではないか。

さもないと、結果につながらない無駄な努力ばかりを強いられて、無駄な深夜残業を延々と繰り返し、「やった」感ばかりが先行して、最後に報われればいいけどそうならない場合は、「こんなにやったのに何故?」という、不要な絶望を配下の者に与えることになる。


あと、最近気になるのが「『人間力』症候群」とも言える事象。

「要は人間力だよ。」って、いかにも物事を分かってる風に言うのは本人の勝手ですが、これほど内容に乏しく、恣意的で、ご都合主義的に使われる科白もなかなかないのではないか、と思う次第です。

単なるトートロジーでしょ?そうじゃないなら、お前、「人間力」の明確な定義を示してみろよ、と。

明確な定義も示さないまま、自分にとって都合の良い心持のあり方を「人間力」と表現してみたり、単に自分がお気に入りなだけの人間を「あいつは人間力がある」と依怙贔屓してみたり、結局は自分の好みを言い換えただけに過ぎないのに、それをあたかも個人の能力であるかのように表現してしまうことに、「人間力」という言葉の持つ大きな問題があるのではないか。

「人間力」という便利な言葉を安易に使うことに逃げていないか?
「人間力」という言葉が指す内容を明確に意識しているか?
それは客観的に他の言葉で説明し得るものか?
「人間力」という言葉を場面によって異なる使い方をしていないか?
「人間力」という曖昧な言葉を使うことで全て説明した気になっていないか?

「あいつは人間力がない。」と言うと、ある個人の能力の低さを問題にした言説のようだが、その定義や判断基準が曖昧である以上、客観的な印象を当てる表現を避け、「俺はあいつが嫌いだ。」とあくまでも主観的な評価として言明する方が、よほど自分の言説に責任を持つ態度なのではないか?主観的な意見を言うのが怖いから、「人間力」という言葉に逃げているだけではないか?

「要は人間力だよ。」と言い放つだけで議論を打ち切って、それ以上の踏み込んだ説明を避けたがる人間には、やはりリーダーとしての資格などないだろう。


「気合いと根性」の問題も、「人間力」の話も、今の自分が直接の被害に会っているわけではないので、いいと言えばいいのですが、最近ちょっと鼻についたので備忘まで。
[PR]

by kcchicago | 2008-11-09 21:57 | 仕事 | Comments(0)


<< 肉々しい夜      青い着ぐるみを抱いて 再び >>